霊視能力(第三の目)


子供の頃から俗に言う「幽霊」が視えました。

四歳くらいからだと思います。ただ、それほど意識はしませんでした。
たとえば鏡を見ると、自分の後ろに人が立っていて、驚いて振り返ると誰もいない。すぐさま鏡に目を戻すと、もうさっきの人は消えているといった感じです。

母親が自分と同じように視える人でしたので、視えるのが当たり前だと思っていたのですが、父親が全くその手の話を否定する人だったので、この世には視える人と視えない人がいるんだなと、子供ながらに思っていました。
それに、「幽霊」の類いを豪語しようものなら父親に完膚なきまでに科学で叩きのめされるので、自ずと人には「幽霊」が視えるということは伏せるようになったのですが、十代後半に友人にカミングアウトしてからは、霊視能力を使って友人知人にカウンセリングをするようになりました。

きっかけは、友人が学生時代のアルバムを私に見せてくれた時でした。この人とこの人、この人とこの人が付き合ってて、この人たちが別れて……。指を差して友人に教えると、全部当たっていると友人は驚きました。
「じゃあこいつのこと、何か分かる?」と聞かれて、「セブンイレブンが視える」と、その時に感じたことをそのまま言いました。友人はすぐに、その彼に電話で確認しました。「おまえ、セブンイレブン好きか?」と。すると、「セブン? 大嫌いだよ。今バイト辞めてきたところだ」と言ったそうです。
それから友人は色々と質問をぶつけてくるようになりました。「昔の俺の彼女が今、どんな生活してるか分かる?」などです。漠然とですが私が思い浮かんだ通りに答えますと、すべてがピタリと当たっているようで、友人はその度に驚愕していました。

そんな感じで色々な人を視ては驚かれる日々が続きました。
口コミであっという間に広まってしまい、ある夫婦から「私の死んだ子どものことを視てほしい」と泣きながらお願いされ、それから極力自分のことを広めないでほしいと友人に頼むようになりました。

しばらくして、あることがきっかけで霊能力を失いました。ぶっちゃけて言いますと、己の欲望です。霊能力を使ってお金を儲けようとしたのです。
すると、それっきり使えなくなってしまいました。二十歳の時でした。
ただ、どこからともなくこのような声だけが頭上から聴こえてきました。
「十年後にまたその力は甦る。そしたら今度こそ、世のため人のために使うように」と。

三十歳の時です。車を運転してる時、道に迷い、行くところ行くところが神社やお寺。それがまた、子育てのところばかり。案の定、妻に子供が身ごもりました。

その頃、導かれるように四つのお寺を巡りました。後からそれは、四寺廻廊(松島の瑞巌寺、山寺の立石寺、平泉の中尊寺と毛越寺)と呼ばれるルートだと知りました。四つ目のお寺を巡り終えたところで、私の額が縦に割れ、ググーッと開く感じがし、その日から今までは視えなかったものまで視えるようになりました。自分のことは分からないのですが、人の守護霊様、過去世、未来、守護神等が視えるようになりました。あまりにも視え過ぎて、慣れるまで時間が掛かりました。


その力はすぐに無くなってしまうと思っていましたが、いつまでも無くなりませんでした。友人知人や親類を視ると、二十歳の頃とは比較にならないほど的中率も高く、説得力もありました。色々と辻褄が合い、疑いようがありませんでした。

ある日私は、その時に縁のあった友人に、視えた過去世、先祖の霊のことや生霊のこと、守護神のことなどを話しました。
その友人は物凄く疑い深く、宮城県で当たるので有名な、とある霊能者のところに視てもらいに行きました。すると、私が言ってたこととほとんど一緒だったそうです。八つ中、七つ的中。でも、一つ外れたと。守護霊様が違ったと。それを、その霊能者に尋ねたら、「視る人によって守護霊は姿を変える」と言われたそうです。
なるほどと思いました。確かに過去世も一つや二つではなく、未来も変わる。自分の中で何か確信めいたものをその時感じました。

それから、たとえば女性の方に「あなたには花が視える」なんて言うと、「えー? 何それ」と言われ。おかしいな……なんて思っていると、次の日に、「私のお父さん、花屋さんだった」なんて言われてホッとしたり。「君は、東京の中野のまんだらけで働いてたでしょ?」と聞いたら、「なんで分かるんですか?」って驚かれたり。
自分でもどうしてそこまで当たるのか分かりませんでした。ただ、何か突然キーワードが頭に浮かんできたり、映像が見えたりするわけです。それを話すと当たっているという。
しかし、それでも私は自信がありませんでした。
ただ漠然と感じるのが、私が当てると、相手は私の話に耳を傾けてくれるので、たとえば厳しい忠告も聞いてもらえる。相手方の守護霊様の手なのかなと思いました。

「ねずみとりに気を付けて下さいね」なんて言うと、翌日、「言われた帰りに捕まったよ。忠告ちゃんと聞いておけばよかったよ」と。その人の守護神が視えた際も、「大日如来が守ってくれてますよ」と言うと、「分かる?」とケータイの待ち受け画面を見せてくれて、そこには確かに大日如来の梵字があったり。

 

妻も同じように視える人で、一緒にカウンセリングをしていると、「中国の……、こう、髭をはやしてて、服はこうで、こういう色で……」と、私と同じものが的確に視えているわけです。当時は答え合わせが出来るし、かなり頼りにしていました。一人だと自信がなくても、妻が同じことを言うと、やはり間違いないんだと思えるわけです。

時に、家に帰るなり、「入ってこないで」と妻に言われて塩をかけられ。案の定、その日は会社で嫌なことがありました。「こういう人が憑いてる」と。特徴を聞くとそのまんま。生き霊ですよね。確かにその日、その人に怒られて……。もう、そこまで的確に当てられると言葉もありません。

そんなことが、ほぼ毎日でした。

必要以上に「幽霊」が視えたり、怪奇現象に苛まれたり、奇跡や神秘的体験も多々あったのですが、それらも全部、調節出来ることを知りました。
ラジオのツマミを回して周波数を変えるような感じで、自分も調節出来るようになり、かなり楽になりました。
それまでは人の思ってることが手に取るように分かってしまったり、視たくないものまで視えてしまって困ったこともよくありましたが、視る時は視る、視ない時は視ないと、完全に切り替えることが出来るようになり、霊視によるカウンセリングがグッと楽になりました。
霊視をすると極端に疲れ、変なものを視てしまったり、憑かれそうになったり、何かと大変だったのです。
その頃から私は、完全に「幽霊」という存在を自分の世界から消すことが出来るようになりました。